ぼちぼちメモ

F1等の趣味や日常生活での気軽なメモです。小説や詩をまとめた「コトゴトの散文」というブログもやっています。「月の砂漠のかぐや姫」という長編物語も連載中です。

演劇創造ユニット「フキョウワ」さんの第3回公演「SANC SANC SANC」を観てきました

 

 

 みなさん、お久しぶりです。くにんです。

 小説や詩をまとめたもう一つのブログ「コトゴトの散文」はそれなりのぺースで更新できているのですが、F1や演劇の話を主としていたこちらは長い間止まっていました。ずいぶんと久しぶりの更新であります。

 

 僕の楽しみの一つは演劇を観ることなのですが、新型コロナが広がり始めた頃から長い間、演劇業界はほとんど活動ができない状況でした。でも、最近は感染対策を万全に施しながらの活動が始まっていて、僕も今年に入って何度か観劇の機会を持つことができました。

 

 

 

 本日は、演劇創造ユニット「フキョウワ」さんの第三回公演「SANC SANC SANC」を観て参りましたので、くにんの個人的な感想を書きたいと思います。

『SANC・SANC・SANC』

【概要】

欲望と腐臭の入り混じる都会の交差点

理不尽な火事をただ見つめる青年
タワマンの最上階で死を夢見る少女
息苦しさと行き詰まりの袋小路
風が吹けば桶屋が誰かを殺める
誰かが誰かを裁かずにはいられないSanction Society

“拡大自殺”、“格差社会”、“メリトクラシー”、

エトセトラエトセトラ
現代社会を漂うあれやこれやをポップでシニカルにちぎって投げる
演劇創造ユニット[フキョウワ]1年半ぶりの本公演

(演劇創造ユニット「フキョウワ」第3回公演「SANC SANC SANC」フライヤーから引用)

 

 本劇は、複数の登場人物それぞれを主役とする場面を幾つも組み合わせ、それが干渉し合って大きなストーリーを形作る構成となっております。

 劇のチケットを予約する際に上記紹介文を読み少し重めの話なのかと思いましたが、一つ一つの場面が短く、また、ダンスによる場面区切りがはっきりしているため、重くなり過ぎていませんでした。

 話全体としても、「さぁ、この世界にはこのような悲惨な状況がたくさん転がっているぞ。さぁ、どうする、どうする?」と、次々と惨状を舞台上で展開した後に、観劇者に考えることを投げ渡すものではなく、かといって、「このような問題がある。解決策はこれだ」と、解釈を制限するものでもありませんでした。

 訴えたいテーマ、考えて欲しいテーマが観劇者に明確に示されつつも、物語自体が非常に面白く興味深く作られているので、観劇者は「ああ面白かった。だけど、私ならあそこはこうだなぁ」と、自然な形でそれについて考えることができました。

 演者の皆さんもとてもお上手で、ちょっと不思議な人はちょっと不思議な人、真面目で不器用な母親は真面目で不器用な母親、朴訥な青年は朴訥な青年として、観劇者の心に自分の思いや悩みを示してくれました。

 

 この演劇では「SNS」、特に、その中での炎上やイジメ等が大きな問題として取り扱われます。

 僕が先日観劇させていただいた、劇団「空福舞台」さんの第一回公演「コトノハ」でも、同じようなテーマが取り扱われていました。

 同時期に同様のテーマで演劇が作られるということは、やはり、「SNS」上での距離感や正誤玉石混合の情報への対処等の問題は、現代社会の特に大きな問題なのだなと改めて感じました

 

 「SANC SANC SANC」を観させていただいて僕が思ったのは、一つは「やはり、人は人と繋がることを欲するんだ。それも現実で」ということ。そしてもう一つは「人は情報を基に判断し行動しなければいけないが、その情報が正しいかどうかを完全に調べ尽すことはできない。人は生きるために動物や植物等の命を奪わなければいけないが、それを業として自覚し感謝と自責をしながら生きることはできる。情報社会で生きる我々は、正誤未確定の情報を基に判断や行動をしなければ生きられない業を持っているのだと自覚し、それにできるだけの責任を持たなければいけないのだ」ということでした。

 

 この度はとても素晴らしい作品に出会えたことを、大変感謝しております。製作者、出演者、スタッフの方々、ありがとうございました!

 なお、本作「SANC SANC SANC」はアーカイブ映像の配信販売もあるとのことです。ご興味を持たれた方は、演劇創造ユニット「フキョウワ」さんのHPをチェックされてはいかがでしょうか!!

fukyowa.com