ぼちぼちメモ

F1等の趣味や日常生活での気軽なメモです。小説や詩をまとめた「コトゴトの散文」というブログもやっています。「月の砂漠のかぐや姫」という長編物語も連載中です。

3月11日 震災7年への雑感

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 皆さん、こんばんは。日曜日の夜は少し憂鬱な、くにんです。あーもう休み終わりか。

 

 今日3月11日は、東日本大震災から7年目に当たります。

 亡くなった方、怪我をされた方、物的損害を受けられた方、大小にかかわらず影響を受けた方、たくさんの方がいらっしゃると思います。心よりお見舞いを申し上げます。

 あの時、関西在住の僕でさえ、大きな揺れを感じました。遠いところまで届いた揺れは、周波の長い横揺れでした。長い時間続いたそれで船酔いに似た気持ち悪さを感じたことを覚えています。

現 地にいらした方の地震や津波に対する恐怖は、どれほどのものだったでしょうか。

 

 また、災害のなかでも、原子力災害は長い時間影響を与えます。

 阪神大震災で被害を受けた我が神戸は、ハード面に関してはすっかり復興していて、知らない人には大きな地震があったとは気づかれないほどです。でも、東北の現状は、そのような経験が通用しない、違う難しさがあるのですね。

 

 ハードでどれだけ天災に備えるか、については色々な考え方があると思います。何年に一度に備えるか、何百年に一度に備えるか、あるいは、何万年に一度に備えるか。

 危険と利益との関係もあります。毎年悲惨な事故を何度も起こしている自動車は、危険度だけを考えれば国土から排除すべきですが、利益と秤にかけて考えるとそれはできません。ハードの復興計画も危険性と利益をどのように考えるか難しいところでしょう。もちろん、コストの問題もありますし。

 津波は地形により大きな影響を受けます。高い津波が来たところは、今後も高い津波が来る恐れがあります。だから、海から遠く離れたところにすべて移転するのか、それとも、海沿いに漁業施設や海産物加工拠点を残すのか、それとも、利便性を重視してソフトでの対応にとどめるのか、どの意見もそれぞれの立場からすれば正しいものでしょう。

 

 人は忘れるもの。

 それ自体は、人が前へ進んでいくための立派な機能の一つです。

 ただ、震災の悲しみを乗り越える(自分の中で消化する)のでなく、ただ、震災を忘れてしまうということは、やはり、避けなくてはいけないことだと思います。

 ハードでの対応も必要ですが、ソフトでの対応も必要です。

 人は忘れるもの。だから、必要と思うことは、思い出さないといけない。

 

 だから、こうして、雑感を書くことにしました。

 7年前の3月11日、東北を中心とした大きな地震があり、甚大な被害が生じ、いまもそれは続いていることを、ここに、自分の中に、書くことにしました。

 

 まったくの推敲無し、雑感ではありますが、震災にたいして自分のできることの一つではあると思ったのです。