みなさん、こんばんは。くにんです。
先日、「竹取物語」を一度分解して、自分なりのかぐや姫の成長物語に再構成した「月の砂漠のかぐや姫」の公開を始めました。このブログの兄弟ブログである「コトゴトの散文」、あるいは、サイドバーのリンク先で読めますので、是非一度お立ち寄りください。
今回は色覚異常(色弱)についての雑感です。
先日は、頑張って描いたイラストを公開いたしましたが(汗)、イラストを描くと思いだすエピソードがあります。色覚異常に関してのものです。
僕は先天性色覚異常を持っています。赤と緑が苦手です。特に濃い赤と濃い緑の判別は困難です。といっても、それほどひどいものではなくて、自動車免許も持っていますし、日常生活において不便を感じることもほとんどありません。
今は、小学校で色覚検査を行うことは無くなりましたが、僕が自分の色覚異常を知ったのは、その小学校での検査でした。それは、そうですよね。そんな機会でもないと気づきません。自分の見ている世界が、人の見ているそれと微妙に異なるものだなんて。
〇色覚異常についてはこちら(日本眼科学会「先天性色覚異常」)
http://www.nichigan.or.jp/public/disease/hoka_senten.jsp
小学校の検査で引っかかって、病院で再検査(いろんな色でつくられた、数字が浮き上がる検査、覚えてますか?)を受けたときに、母親が「え、これがわからないの」とびっくりし、同時に泣いたことを覚えています。とはいえ、先ほども申したように、先天性でこれ以上悪くなることはないということ、日常生活に特に不便はないことから、本人はまったく気にしていませんでした。
さて、小学校高学年になった時のことです。
僕の通っていた小学校では、美術は美術の先生が担当していました。どこでもそうなんですかね? その先生は、授業で生徒に絵を描かすときに、都度都度チェックをして直すべきところは描き直させ、良くなってからその先に進ませるという指導を行っていました。
ある絵を描く授業で、僕は石垣を絵に入れようと思いました。学校の校庭の周りに組んである石垣で、白っぽい石に、鉱物のような物や雲母がキラキラしていました。僕は、その雲母等のキラキラを表したくて、薄い水色にオレンジや青を入れて石垣を塗ったんですよね。
それを先生に見てもらったところ、一言。「石垣はこんな色じゃないだろう」でやり直しでした。
僕としては、一番工夫したと思ってたところなのでがっかりしました。で、おそらく世間一般ではこういう色なんだろうな、と思う灰色に塗り直して持って行ったところ、今度はすんなりとOKになりました。
実際、先生の指導方法はいかがなものか、とも思いますが、ここではそれはそれとして。(^-^;
この時、ぼくは確信しました。「ああ、僕は、物を本当の色で目にすることができないのだ」と。
うーん、あの石垣の色は、本当は何色だったのか、今でも悩みますね。青色やオレンジの雲母が勝った色なのか、それとも単純な灰色なのか。最近、薄い青やオレンジも苦手なので尚更です(^-^;
ただ、一つ良かったのは、前もって自分は色覚異常を持っていると知っていたので必要以上に悩まなかったことですね。「どうして自分はみんなと違うんだろう」なんて悩む前に理由がわかってましたから。色覚検査を小学校でやらなくなったのはいろんな理由があったとは思いますが、少なくとも、僕はその検査で異常がわかっていて良かったです。
幸いそれほど程度がひどくないので、僕にとっては悪いことばかりではないと思うこともできました。このような体験のおかげで、「見るということ」、「認識するということ」、そして、「存在するということ」などへ興味を持つことができました。また、何かの出来事に人と自分の意見が違うということも、全く違和感なく受け入れることができます。なにせ、意見どころか、普通にみている景色すら、人によって異なるのですから。
実際にいま困っていることは、エクセルで作られた資料で、パステル系の色分けがわかりづらい(どうもオレンジ系、ベージュ系も苦手のようです)ということや、電気製品のランプがわかりづらい(ONが緑、OFFが赤というのはやめて欲しいです。わかりません)ことぐらいですかね。このような人もいますよ、電機メーカーの方(笑)
ただ、まぁ、僕はこのように受け入れられたのですが、この色覚異常は遺伝性なのです。僕が医者から受けた説明では男に出るものということで、娘には出ていないのですが、将来その下に男の子ができたらどうかな、という点は心配ですね。僕のように、世界を理解する手段の一つと思ってくれればいいんですけど(^-^;
そういえば、この色覚異常の感覚を源にしてストレートに発展させた詩を「コトゴトの散文」に載せてました。
せっかくなので、最後にこちらにリンクを載せておきます(^-^;